ひどいタイトルかもしれませんが、名前は聞いたことあるものの、何をした人なのか、全然知らないので、調べてみました。別にキュリー夫人の生涯を研究しようとしているわけではなく、旅行でキュリー夫人博物館に行ったときに「あぁ~」と思うことができる程度に事前情報を仕入れておこう、という趣旨です。
とりあえず、以下を抑えておこうと思います。
(誰でも知っている、と思われる情報をあえておさらいしているだけになります・・・)
- 基本情報(生まれ、名前、生涯の概要)
- 何をした人なのか(具体的なエピソード)
基本情報(生まれ、名前、生涯の概要)
名前は、マリア・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Salomea Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)、ワルシャワ生まれのポーランド人。ポーランドではマリ、と呼ばれることが多いみたいですね。
物理学者・化学者で、放射線の研究で、1903年にノーベル物理学賞、1911年にはノーベル化学賞を受賞しています。放射能 (radioactivity) という用語はキュリー夫人の発案で作られたそうです。(Wikipedia情報)
旦那さんはピエール・キュリーで、フランスのパリ市立工業物理化学高等専門大学(ESPCI、名前長い・・・)で教職に努めている方で、この方も科学者。
娘の夫妻も加えると、家族で合計5回のノーベル賞を受賞している科学者一家です。
マリ自身は、女性で初のノーベル賞受賞者となっています。
何をした人なのか(具体的なエピソード)
主な功績は、ラジウムの発見、ポロニウムの発見となります。放射性元素のことですね。
もともとはアンリ・ベクレル(壊変毎秒:Bq ベクレルの由来の人)がウランの発行特性を発見しており、そちらの内容をより詳細に研究した結果、ピエールとマリはウラン以外にも同様の原子自体が外的要因とは無関係に何かしらの光線を出している、ということを発見しました。
結果、ウランよりもずっと強い放射特性を持つポロニウム、そしてラジウムが発見されます。
こうして見つかった新元素ですが、次に原子量を測定するための精製活動が始まり、この精製技術が特許の取得なく公開されることとなります。特許を取得しなかった理由としては、マリは 「人生最大の報酬とは、知的活動そのものである」 と言っています。
これまた有名な言葉なのでしょうが、私は知りませんでしたのでメモしておきます。
ラジウムが見つかったことでどんな影響があったかというと、以下の通り。
- 元素は不変であるとする考えの見直しが図られた
- 細胞を破壊する効果が見つかり、皮膚疾患、悪性腫瘍の治療に応用されるようになった
(しかもラジウムの精製方法は特許なし)
放射能は治療に使えるんですね。近くの生体組織を破壊するジェノサイド的な物質というとらえ方しかしておりませんでした、お恥ずかしい・・・
ノーベル賞は、アンリ・ベクレル、ピエール、マリの三人が共同研究を行ったという形式での受賞となっている模様です。
また、ピエールの死後でもある第一次世界大戦時中は、レントゲン設備を乗せた車両やレントゲン設備を整え、負傷者治療のための活動をしていたようです。
キュリー夫人の研究はパリで行われていた
ここまで、調べて、「あれ?ピエールと結婚してからはずっとフランスにいたの?」と思い調べてみたところ、その通りでした。つまり、キュリー夫人はワルシャワで研究をしていた期間はそこまで長くなく、ラジウムやポロニウムの発見はパリで行われたのです。
と、いうことで、今度訪問するキュリー夫人博物館は、実際にラジウムやポロニウムの精製が行われていた場所ではないのですが、生家を利用して作られた博物館で、研究資料などが置かれている場所になるようです。
ちなみに、パリには研究当時の状況がほぼそのままの状態で残っており、キュリー夫人の指紋からは放射能が確認できるとか。
今度、パリに行くときは行ってみてもいいかもしれないですね。