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[第二次大戦の英雄]アランチューリング 50ポンド紙幣の顔に[おめでとう]

Bank of England発表の新50ポンド紙幣

イギリスの数学者 第二次大戦の英雄
同性愛者を理由に正当な扱いをされなかった人物

皆さん、アランチューリング (Alan Turing)という方をご存じでしょうか。
私は映画「イミテーションゲーム」を見てから、彼の大ファンです。

彼は数学者ですが、その頭脳を生かし第二次大戦を勝利に導く活躍をした人物です。しかしながら、同性愛者であったことが原因で逮捕され、科学的去勢をすることとなり、その苦しみと屈辱から自殺をしてしまいます。

名誉回復の署名活動の結果、2009年にはイギリス首相ゴードン・ブラウンより正式に「あれは不当な扱いだった」という政府による謝罪が出されてはいましたが、今回、なんとイギリスの50ポンド紙幣の顔に選ばれたというニュースがBank of Englandから発表され、彼がイギリスで正当な評価を得ていることを知るとなんだかうれしくなります。

今回の投稿では、新しい50ポンド紙幣の顔であるアランチューリングについて、記載していきます。

Bank of England Govenor による選定の背景

As the father of computer science and artificial intelligence, as well as war hero, Alan Turing’s contributions were far-ranging and path-breaking. Turing is a giant on whose shoulders so many now stand.

Mr. Corney - Bank of England Governor

訳すとすれば、以下のような感じですかね。

「彼は戦争の英雄であるだけでなく、コンピューターサイエンス、また人工知能の父ともいえる功績を数学者・科学者として残した。アランチューリング氏の功績は計り知れないものであり、現在われわれが享受しているものの多くは彼によりもとらされたと言ってもいい、まさに巨人なのだ”

アランチューリング 主な功績 幼少期 第二次大戦での活躍 暗号解読後 自殺まで 

主な功績 - 暗号解読マシンの作成、現代コンピューターの基礎を構築

【概要】
・名前:アランチューリング (Alan Turing)
・生涯:1912年6月23日(生) - 1954年6月7日(没)
・職業:数学者、コンピューター科学者、暗号解読者

アランチューリングは、イギリスの数学者であり、第二次大戦中はドイツが使用していた伝令などを暗号化する機械であるエニグマ (Enigma)を解読したことで、同盟国を (アメリカ、イギリス、ロシア)勝利に導き、ナチスの支配から世界を救ったといわれている人物です。

彼はエニグマにより暗号化されたコードを解読するために、
「コンピューターに勝てるのはコンピューターでは?」という考えから、チューリングボンブという解読マシンを作ります。

このチューリングボンベが、第二次世界大戦を勝利に導くとともに、今日のコンピューターの基礎となったと言われています。

ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ主演で映画にもなっています!「イミテーションゲーム」

アランチューリングの物語は壮大な規模であり、また切なさにあふれる悲劇もあるため、まさに映画向けの内容です。ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ主演で「イミテーションゲーム」 という映画も作成されています。

ベネディクトカンバーバッチの演技は最高で、第87回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、編集賞、作曲賞、美術賞、脚色賞の8つにノミネートされています。

お暇な方はぜひ見てください。
アランチューリングとベネディクトカンバーバッチのファンになること間違いなしです。

幼少期

アランチューリングはインドの高等文官である父親ジュリアスと母親エセルの間に生まれます。アランが生まれた後も、父親ジュリアスのインドでの任期は続いており、両親はともにイギリスとインドを行き来する生活を送っていました。

チューリングは6歳になったときにセント・マイケルズ学校というところに入学しますが、ここで担当教師、そして校長がチューリングの数学の才能に気づきます。

その後、14歳になったときにシャーボーン学校という古典的で有名な公立学校へ入学します。チューリングは数学と科学にのめりこみ、友達の少ない学校生活を送るのですが、近所の1歳年上のクリストファー・モルコムという男子学生とは親友の関係になります。

モルコムも理系科目が得意であり、チューリングはモルコムと一緒に科学全般について語り合うようになります。次第にチューリングのクリストファー・モルコムへの思いは恋へと発展しますが、チューリングが18歳の時、クリストファーは牛結核症のため死去します。

チューリングはこの出来事に大きなショックを受けますが、天国でモルコムと再会したときに数学、科学の話をするため、学問を続けます。

天才的な頭脳を持っていたチューリングは、ケンブリッジ大学に進学し、その後米国のプリンストン研究所で純粋数学のみならず、暗号理論を学び、またこのときに自身の手で計算機の試作などにチャレンジするようになります。

第二次大戦での活躍

チューリングは26歳になったころ、米国からイギリスのケンブリッジ大学に戻り、そしてパートタイムでイギリスの暗号解読組織 (StationX)で働き始めます。

ここでエニグマが登場します。
エニグマとは、ドイツ語で謎を意味するのですが、元の文章を独自の変換ルールに基づいて暗号に置き換え、そして解読するというシンプルなコンセプトなのですが、この変換ルールが1.59×10^20 (10の20乗)存在し、解読不可能と考えられていました。

このエニグマ解読が、暗号解読チームの挑戦となります。

そこからの1年、チューリングは暗号解読という業務内容の都合上、近しい人々にも何をしているのか言うことはないまま、暗号解読に取り掛かります。

このとき、重度の花粉症であったため、ガスマスクを着けて自転車をこいでいたり、マグカップを盗まれないようにラジエータパイプに鎖で結んでいたという変人エピソードも残っています。

そんな変人であったチューリングですが、戦地から収集したエニグマを用いて試行錯誤を繰り返しつつ、電動式の暗号解読装置「チューリングボンブ」を設計します。

完成したマシンは、膨大な変換ルールの候補のなかから、15分ほどで正解となる変換ルールを探し出すことに成功し、チューリングが28歳となる1940年からは量産されたチューリングボンブが戦地に導入され、ドイツ軍の通信を解読したといわれています。

多くの歴史家は、この発明により戦争の終結は2年早まり、数百万にも登る人々の命が救われた、とチューリングの功績を評価しています。

暗号解読後 自殺まで

チューリングは、幼少期にクリストファー・モルコムに恋心を抱いてからというもの、同性愛者でした。

暗号解読に携わる間は仕事仲間に対して関係を持とうとすることもなかったのですが、暗号解読が終わり、チューリングボンブが実装されると、彼が同性愛者であることを知るMI6諜報員のスチュワート・メンジースはチューリングを暗号解読チームから外します。

チューリングを含む暗号解読にかかわった数学者は暗号解読という機密性の高い業務にかかわっていたため数年の間の業績を外部に公開することができず、戦後も不当な扱いを受けていくこととなります。

33歳となる1945年から1947年までは、チューリングはイギリスの国立物理学研究所で勤務し、1948年からはマンチェスター大学の助教授を務めました。

そして、40歳となる1952年、マンチェスターの映画館でアーノルド・マレーという少年と出会います。デートをしたあと、数週間後にチューリングはマレーを自宅へ招き、一夜を共にすることとなります。

このアーノルド・マレーの手引きによりチューリングの家に泥棒が侵入するのですが、この事件の捜査のなかでチューリングが同性愛者であることが明るみとなり、当時のイギリスでは同性愛は違法であったため、チューリングも逮捕されてしまいます。

チューリングは同性愛者として告発され有罪となり、科学的去勢を受けることとなります。

この科学的去勢は女性ホルモンを投入するというものなのですが、これによりチューリングは健康状態を著しく悪くし、41歳の1954年、青酸をふりかけたリンゴをかじることで自殺します。

自殺の直前、白雪姫の映画を同僚とみていたといわれており、リンゴをかじって死ぬのは白雪姫をまねたものでは、という考えがあります。

死後、名誉回復、再評価されるチューリング

アランチューリングの生涯は自殺で終わりますが、彼の功績をつづった伝記が世に出回って以降、再評価の流れが続いています。

コンピュータ科学の最高の賞にチューリング章という名前が付けられる、チューリングの名誉回復のための署名活動が行われる、そして同性愛者として過去に有罪となった人々の斜面をするチューリング法が可決される、そして、50ポンド紙幣の顔になる。

ファンとしては非常に喜ばしい限りです。
まぁ、イギリス行ってみたくなったなぁ。物価高いけど。

今日のところは以上です。

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