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アウシュヴィッツ強制収容所での出来事 旅行前の予習

7月に予定しているクラクフ滞在の主な目的は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の見学です。調べ始めたら山ほど文献が見つかりますが、訪問前の予習という立ち位置で、概要についてまとめてみました。

基本情報

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 とは、クラクフから西に54キロの場所にある地方都市、オシフィエンチム (Oświęcim) に第二次大戦中にナチスドイツにより建てられた強制収容所のこと。施設は複数あり、それらを総称してアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所と呼びます。

ピーク時にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されており、合計では約110万人が殺戮されたという情報があります。
強制収容所の施設群としては大きくアウシュヴィッツとビルケナウの二か所があり、ビルケナウのほうが規模は大きく、収容、処刑された人数も多いようです。しかし、アウシュヴィッツには当時の状況がほぼ残されており、また観光地となっている博物館も存在しているため、話に上りやすいのはアウシュヴィッツとなっています。

二度と同じことが起こらないように、という願いから、1979年に世界遺産登録されています。

建設の目的

建設は1940年から始まりましたが、当時のナチスドイツはソ連への領土拡張をするべく、東欧地域の植民計画を推進しており、占領地での労働力の確保と民族浄化を推進することが建設の目的でした。

民族浄化についてですが、これは国是となっていた「反ユダヤ主義」による「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」の実行、つまりユダヤ人の収容と殺戮(ホロコーストという)を意味します。労働力確保を目的とする一方で、労働に適さないと考えられた女性・子供・老人などの人々も処刑されていたことから絶滅収容所と呼ばれるなど、大量虐殺(ホロコースト)が建設の目的であったと考えられる場合もあります。

反ユダヤ主義については、なぜ当時のナチスドイツがこれを国是としていたのか、最終的解決がエクストリームすぎる点など、いまいちわからなかったのでまた今度調べたいと思います。(反ユダヤ主義自体は、ナチスドイツに限った話ではないとのこと)

収容所での生活

まず、収容所へ運ばれた人々は、収容の理由、人種、性別、健康状態などをチェックされ、労働者として強制労働させられるか、人体実験の対象となるか、価値なしとして処刑されます。

仮に労働者として選別された場合でも、道路の舗装工事、戦争に使用する兵器の製造、死亡したほかの被収容者の処理などを行いますが、どれも過酷な環境であり、食糧事情は劣悪、伝染病などが蔓延しており、常に命の危険がある状況でした。

夏は37度、冬はマイナス20度と気候が変化する中、被収容者に与えられたのは薄手の麻布だけであり、住環境、衛生面も非常に劣悪、非人間的な扱いが行われていたようです。

収容所の閉鎖

1944年、ソ連軍がポーランドに侵攻すると、収容所は閉鎖され、ナチスドイツは収容所で行っていたことを隠ぺいするために収容所を部分的に解体します。被収容者は別の強制収容所へ移送されるか、処刑されるかのどちらかになる予定が、実際にはソ連軍の急速な接近による混乱から約7500名がそのまま残っています。

最終的には、収容された90%の人々はなくなり、約5万人のみが生存したといわれています。

調べていて、また概要しか書いていないですが正直気分が悪くなりました。
予習としては、とりあえずこんなものにしておこうと思います。

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